【伝説日記vol.36】入院6日目。安定。


今日の状態・症状

体重:55.5kg(朝食前)

体温 :36.9

痛み : 腹痛、頭痛(軽)

今の状態、入院の経緯はこの後、解説します。体調も安定しはじめて、退院に向けて過ごしています。
腹痛はありますが、薬のおかげで、ある程度抑えられています。




精神的にも安定

6時に起床しました。

早朝散歩しました。スッキリ。

昨日の朝も散歩したのですが、点滴がまだついていたので、点滴台?をゴロゴロ引きながらの散歩は気分も病人で。。。

今日は点滴も外れたし、何より、入院6日目にして、はじめて朝まで一度も起きることもなく爆睡。スッキリした目覚めでした。
やはり、点滴の交換などで、看護師が来ると、敏感な僕は必ず起きてしまう。
実は、昨夜から、同部屋の方、全員退院されて、ひとりになったので、そのことも快眠の原因になったとは思います。


朝は腸の動きも悪く、腹痛が起きやすいので、散歩に行き、歩いて、腸も目覚めさせたいと思うのと、朝日を浴び、外の空気を吸うと気持ちも上がるのでGO!
退院後も、また日課にしようと決めています。

 

点滴が外れたので、病院の前の信号も渡って院外へも。

まだまだ痛むお腹のせいで、スピードはトロトロなものの、快調に歩けている自分の姿、イヤフォンから流れる音楽、昨日は行けなかった範囲を超える喜び、様々な要因が重なって、体の芯からエネルギーが湧いてくる。

 

そうた
要するに、ちょっと感極まって泣きそうになったってことw

 

このまま順調に行けば、2〜3日後には退院できると思うけど、「この入院。すごくいい機会になったのかな」と歩きながら色々と考えた。
※入院の経緯などは、この記事の最後にダラダラ書くので興味ある方はのぞいてください。

 

たしかに、前回書いたように、今考えている『無治療』という選択のことや、今の僕の状態、置かれている状況、命の長さ、何より、痛みや動かない体のせいからもたらす心境。心は不安定だった。

 

入院患者のほとんどは高齢者。
同室の前のお父さんは92歳。
話すときは「お父さん、お父さん」と呼んでいたが、僕にとっては完全に「おじいちゃん」の年齢。
そんな「お父さん」も、昨日元気に退院していった。

ドロドロで、離乳食のようなご飯すら、完食もできず、同じ年齢くらいの看護師たちにサポートしてもらい、ベッドの上で、緩和ケアの人や、治験コーディネーターとも「延命治療」と言うキーワードを用いて話しする自分。


そりゃ、不安定にもなる。

 

でも、この不安定な気持ち。不安。必要なモノやったんやと思う。
今の自分にとって、すごく大事なモノに気づかせるために。




思い出したあの頃

 

今朝の散歩で思い出し、頭によぎった光景が2つ。

 

 

再発する前にランニングしていた自分。


痛む腹が気になり、間に合うか心配しながら信号を渡るとき、数ヶ月前の自分を思い出した。
数ヶ月前と言ってもたかが2ヶ月前。

あんなにも元気に走ってたのに。。。
体だけでなく、あのときは“未来”しか見ていなかった。

いつかのブログにも書いたけど、やっぱり、そこそこ焦ってたとも思う。

「がんも無くなったし、遅れを取り戻して、早くみんなと同じ土俵に…」って。

あのときは、無理はしていなかった。って思い込んでたけど、こうして腹が痛む自分が振り返ると、やっぱ無理してしまってたんかな。って思ってしまう。
体力的なことだけじゃなく、バイトしたり、なんやかんや無理してたんやろな。
焦ってたんやろな。

「心のゆとり」がなかったんかも。

未来ばっかりみて、闘病した1年の遅れをどう取り戻すか…って。
自分が強いと思い込んで、息継ぎもなしにがむしゃらに走ってたと言うか。

もちろん、それはそれで楽しかったし、やりがいもあったし、充実してたし。

 

でも、ふと思ったんよな。

あの頃、一瞬で走り抜いたこの距離。信号。
今は、歩いて渡るのもしんどい距離。

ちょっと、俺、急ぎ過ぎてたんかも。って。

 

そんなことよぎってすぐ、思い出した光景が、


がん宣告受けて、すぐにはじめたウォーキング。


今以上に精神的にも不安定?だったあの頃も、朝は毎日歩いていた。

で、毎日、いろんなことを考え、時には無になって、心を落ち着かせていた時間。
ちょうど2年前かな。

 

今の精神状態的にすごく似ていたと思う。

毎日、毎晩、家にも帰らず、仕事して。充実してたし、楽しかったのは当時を振り返っても思うけど、そんな中、急ながん宣告、余命宣告を受けて。
「心のゆとりがなかった…」と反省と若干の後悔もしながら、歩いていた毎朝。

 

「あっ!今も一緒やん!」
って、思った。

 

2ヶ月前の自分と、2年前の自分が思い出さしてくれた。

結局、なんやて。


をしっかり
生きなあかんねて。

 


正直、焦る。

未来を想像すると。
こんなボロボロの自分。3人の子どう守る?
奇跡起こして、回復したとて、俺は家族を守れるのか?


でも、未来を想像し、未来のために歩む。
文字通り、未来を生きたとしても、今の世界で死んだら意味ないやんな。って。


空気が吸える。
食べたい時に、食べたいものが食べれる。
お粥がうまい。
空気が美味しい。朝日が気持ちいい・・・

 

2年前も感じたこと。毎日感じていたこと。
忘れるもんやねん。
一番大事なことやのに。

 

いや、つい2週間前も、アメリカの大地で「生きてることに感謝」したし、「今をしっかりと生きよう」と思ったはず!!

でも、結局、窮地に追い込まれな、心の底からはかんじられへんと言うことかな。
あのときは、片手にはコーヒーを持ち、もう片方の手では「景色を綺麗に撮ること」なんかを考えたりしてさ・・・
高飛車で、貴族的な「生」の感じ方よ。
今思えばね。


1週間24時間のほとんどをベッドで過ごして、食べたいものも食べれず、外にも出れない自分が、今は、信号を渡ってる。

このただの平地で味わった
「生きる喜び」というやつ。

そうた
めっちゃ大げさに言うやん!!



やっぱり、人間は「忘れる動物

その中でも群を抜いて調子に乗りやすい動物。
そう、

 

 

 

もっと、もっと、今を大切に、
今の積み重ねが未来を作ることを再認識して、
もっと、もっと、自分を大切に生きてやろうと思った。

 

 

 

日常に戻るとすぐに忘れ、無くしてしまう感覚。
「“生きている”感謝」

 

絶対、意味のある「痛み」「入院」やったと思うよ。

 

とか言うて、
早速、コンビニで買い食いしすぎて、先生に注意される動物。
そう、俺!!


「だって、チョコ食いたいやん」

・・・
って俺が放つ熱意が伝わったのか。

 

そうた
先生も、「ま、ええか」やって。笑




余談。のようで深イイ??話。

今回の入院。暇な時間は、Amazonプライムで映画鑑賞。
ある映画のワンフレーズ。
言葉だけで伝わるかはわからないけど、思わず、停止ボタンを押して、携帯メモに残してしまったフレーズ。


死ぬ間際に、ある人が言った。
「子供の今後の人生を、あの世から眺められると思うと、楽しみで仕方がない。そのためなら、肉体なんか失ってもいい」と。

 

死ぬ間際、僕はそんな風に思えるのか。まだそうは思えないだろう。
実際にその映画の役柄の人は老人だったし、僕はまだまだその境地にはたどり着けていない。


まだまだ、実際にこの手で抱きしめたいし、
笑顔も泣き顔もこの眼で見続けたい。
この口でくだらない話も説教もしたいし、
この耳で、ずっと声を聞いていたい。

 

でも、たしかに。とは思ったから、きっと心に響いたのだと思う。

あの世が存在し、もし、よく言う、星になるようなことがあるのだとしたら、僕はずっと子供たちを見続けれる。眺められる。

それはそれで幸せなのかな。

 

でも、まだ俺は違うかな。

そうた
うん、まだ違う俺で、正解やと思う。

 

 

以下、入院の経緯などダラダラ書きますが、興味ある方だけご覧くださーい。

入院の経緯

先々週の祝日の兼ね合いもあり、3クール目は10月24日(木)にはじまりました。
1、2クール目の副作用の出方とは明らかに違いました。

2日目の朝から、かなりしんどく、頭痛、倦怠感、食欲不振と、急激に全ての副作用が出てきました。

そうた
蓄積??

実は、2クール目は、白血球の減少のせいで、服用が1週間先延ばしになった経緯があるので、そういった意味では、予定通り服用できたのは今回がはじめて。


1、2クール目も、ピークは5日目。

そうた
このままじゃまずい。5日目、死ぬぞ…

予想通り3日目も悪化。一番怖かったのが、極度の腹痛。いつも以上に、お腹の張りがすごかったので、食欲不振なんか関係なく、一切食事はできるはずもなく。

急激すぎる副作用に恐れを感じ、ひとまず、服用をやめました。

服用をやめたからといって、副作用はすぐには止まりません。

木曜の晩から服用を始め、土曜の朝、やめましたが、日、月、火・・・と結果的に、5日間倒れていました。脱水を避けるため、水分は無理に摂り続けていました。ギリギリ、アイスだけは無理やり食べていましたが、1日1個が限界。


服用をやめれば、回復もするだろうし、火曜は店を開ける気でいたのですが、頭痛も全く治らず、泣く泣く臨時休業を決意。
その焦りもあったのでしょう。

早く回復しないといけないと言う気持ち。

便も出ていないので、無理に出して、腹の張りも治めてやろうと思い、朝に、無理にパンを食べてやりました。アイスと一緒に、食パン一切れ。

 

数十分後、極度の腹痛。大量の冷や汗。吐き気もあったかな。

ダンピングだと思い、我慢していましたが、限界を迎え、運ばれました。
救急車は回避。嫁が送ってくれました。


すぐにレントゲンを撮って、腸閉塞の疑いで、続けて造影CTも撮影。
緊急手術の可能性も示唆されましたが、CT画像を見る限りでは、そこまでひどいわけでなかったので、絶食絶飲で、様子を見るため、そのまま入院することになりました。




僕の見解と気持ち

前回の投稿で書いたので、繰り返すつもりはないのですが、10日間のアメリカ一人旅から帰国後も体調も万全で、抗がん剤投与前の血液検査も良好。
食事も十分にとっていました。

やはり、副作用にやられてしまったのです。

前述したように、2クール目は1週間先延ばしになったので、その点、副作用も回避できたのでしょうか?その意味では、僕はついています!
と言うのも、

もし、2クール目に今回のような騒動、入院なんかになっていれば、『アメリカ旅行』なんて確実に無理でした。。。
主治医も止めていたでしょうし、僕自身も断念していたかも。。。

僕の白血球が、僕をアメリカに行かせるために、悪巧みを働いてくれたのでしょう!!

そうた
ナイスやん!!

 

今回、3クール目。予定通りに服用して、1日目から、前回とは違う気はしたんです。言葉では表現しにくいのですが、あえて大げさな表現をするとすれば、
僕は胃がないので、すぐに腸に到達した抗がん剤(ロンサーフ)が、
腸の中で、ボコボコッと、泡を立てて暴れている感じ。ブクブクッと、腸にダメージを与えている感じが、肌で感じ取れたんです。ん?肌で?腸で??

とにかく、すぐにお腹も張ったし、

あー、これは副作用だなー」とすぐに感じたのを覚えています。

 

前回の投稿に書いたように、この経験を踏まえ、今のところ、「ロンサーフはやめたい」と思っていますが、週明けの火曜日に、正式に主治医と話し合う予定です。

抗がん剤治療そのものをやめるかどうかも、しっかり考えていこうと思っています。
もちろん、その経過も今後、報告できれば。と思っております。

 

みなさま、励ましのお言葉も、ツイッター「いいね」やリツイートも。
本当にありがとうございます!!




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◆癌サバイバー/新人ブロガー◆ 32歳でスキルス胃癌ステージ4・余命半年を宣告され絶望。 そこから奇跡の復活を成し遂げている最中です。3児のパパ。 闘病記だけでなく、お金のことや、仕事のことなど色々書いていきます! もっと詳しい自己紹介は名前をクリックしてね⇪