[胃全摘]術後の記録 当日〜術後2日目


2018.11.23 僕は腹腔鏡による「胃全摘手術」を受けました。
33歳という年齢は若い方だと思います。
腹膜播種呼ばれる転移により、手術も不可能で、余命も告げられていた中、“奇跡の消滅”の過程を経て、手術できること自体が、嬉しく、生きれる希望を持つことになりましたが、やはり、手術は大変で、術後は苦労しました。
その様子を当時の思い、気持ちも交えて、まとめようと思います。

当時を思い出して書いた部分や、術後すぐから、記録として携帯にメモしたこと参考に記していこうと思います。

同病で戦う方や、これから手術される方。その方をサポートする方。のお役に少しでも立てれば嬉しいです。

手術当日

朝8:40に病室に迎えに来て、準備が出来次第、手術開始とのこと 。
嫁は間に合わないとのことで、看護師に連れられて、手術室に向かった。そこまで緊張もしていなかった気がする。

手術室に着くと、患者が列を作っていた。人の多さに驚いた。
担当の看護師?助手?たちを3人紹介され、手術室に向かった。

手術台に上がるように指示され、では、麻酔を入れますね・・・から、記憶がない。

目を覚ましたのは、ベッドの上。回復室と呼ばれる部屋。

激痛。

どこが痛いのかもわからない。どこから出ているのかわからない管たち。とにかく痛み止めを要求しまくった記憶がある。
あとで、聞くと、まだ麻酔が完全に冷め切らず、もちろん記憶にはない時だが、
その時は、看護師さんにも偉そうな態度で物申してたらしく、麻酔が覚めた途端、敬語で話し始めたらしいw

結局、手術自体は7時間ほどかかったみたいだ。

開始には間に合わなかったとはいえ、すぐに来てから待ち続けてくれた嫁には
ほんと、感謝しかない。

嫁とした会話で唯一、記憶にあるのが、手術は成功したのかどうか。
それだけは聞きたかっただろう。

「綺麗に全てのがんを取ってくれたみたいよ」的なことを順に説明してくれた記憶だが、鮮明に覚えている感情が、
「絶対に嘘ついてる…」だった。

なぜか信じれなかった。僕を安心させようと嘘を言っているとしか思わなかった。今、その当時の気持ちを分析すると、おそらく、怖かったのだと思う。

この痛みがいつまで続くのか…
その先にもし暗い未来があるのなら…

と悲観的な発想しかできなかったくらい、とにかく痛かった。

何種類かの痛み止めを交互に打ってくれ、ようやく少し効いたときに30分ほどは寝れたみたい。

腹腔鏡検査の時の術後も腰痛、背痛で一晩寝付けなかったのだが、朝一に、ベッドを起こしてから、痛みが治まり、寝ることができた。
その経験もあって、看護師にベッドを起こしていいか聞いてもちろん「だめ」と言われたのに、こっそり起こしてみた。それで、寝れると思い込んでいた。

何も変わらなかった・・・

とにかく体制を変えたい、早く立ち上がりたい。早く朝が来ないかと、寝ることを諦め、朝を待つことにした。

 

術後1日目

ようやく朝を迎えた。

病室ではなく、術後入れられた回復室。両サイドのおじさん、いや、おじいさんたちが起きたみたいで、朝からうるさい…

看護師に何度も同じことを聞いたり、無意味な質問をしたり…

ここは、術後の人が入る部屋と聞いていたが、もしかして、問題児の監修部屋か?と思うくらい、両サイドがうるさい…汗
でも不思議とイライラはしなかった気がする。

それよりも痛みが勝ったのか、体も動かせない、しかも寝れない中、ある意味、当時の僕にとっては娯楽になったのかもしれないw

10時になったら、
歩行練習をしましょう。

とにかく、体制を変えたい今、その時間が待ち遠しくて仕方ない。
その時間の前に、執刀医が、手術の詳細を説明しに来てくれた。

予定通り、体内にあるガン、恐れがあるリンパ全て、取り除くことができたよ

ほっとした。やっと安心できた。腰痛、背痛のことを相談したら、手術時間も長かったから仕方ないのとのこと。若い人ほど、訴える症状らしい。湿布を貼るアドバイスをもらい、これは非常に助かった。冷えるだけで痛みが緩和された。

これは後に学ぶことになるが、冷やし枕を腰に当ててもいいなら、もっと痛みは緩和されたと思う。

10時になり、立ち上がることに。歩けたら、尿道の管も抜けるとのことで、意地でも歩き切ってやる決意を持った。

一晩起きていたことで、打ち続けた痛み止めの効果の周期も、自分なりに把握していたので、最低限の痛みで10時を迎えるべく、調整して痛み止めを頼んだ。

今思うと、やっぱり、俺はずる賢いw

その秘策も功を奏して、
思っている以上の痛みはなく、
スムーズに歩くことはできた。

もちろん、一歩一歩踏み出す度に、腹の傷口がえぐられるような痛さはある。が、褒め続けてくれる若い看護師ちゃん。の手前、ポーカーフェイスで歩き切った。

やっぱり俺はいい格好しぃ笑⃝

一日500mlなら水を飲んでいい許可が降り、恐る恐る飲んでみたが、中学の部活時代、真夏の練習中に飲んだ水に肩を並べるほど、生きていることを実感する一口だった。

嫁、到着。
尿道の管も抜けたので、無理すれば横向きの体制になることができたので、横を向いて、マッサージしてもらった。
本来ならもう一日、回復室に入れられるが、病室に戻る要望を出すと、
状態もいいので許可も降り、無事に病室に変えることができた。

すると、埋まっていたはずの4人部屋が、2人だけになっていた。
早速、窓際に変更してもらい、横、前には誰もいない状態で、今日こそは熟睡してやろう!できる!と苦しい中も小さな喜びを感じた。

散々、マッサージしてくれた嫁も帰り、ウトウトしたり、音楽を聴いたりして過ごした。
なかなか出なかったガス(屁)が出た時は、腸が生きていることを確認できて、
非常に嬉しく感じた。喜びっ屁♡

眠剤のおかげもあり、22時〜翌8時まで熟睡することができた!!

寝ながら、少しでも痛くない体制を求めてもがいたのだろう。布団、シーツが乱れまくっていたw
この、もがきでの蓄積が後の疾患をうむことになる…

術後2日目

よく寝れたので、目覚めは良かった?が、背痛はやはりひどい。
傷口よりも背中が痛む。

術後から少し気にはなっていた部分。他が痛すぎて無視していたが、左肩?鎖骨の上あたりがキリキリする。
常に痛いわけではないが、体制によっては、激痛が走る。針で刺されたような痛さだ。

先生にたずねたところ、やはり、術中の体勢が原因だろうとのこと。でも、骨折することがあるような施術はしていないので、安心しろ。と。

僕は勝手に、右腹下に刺さっているドレーン※医療用の排液管が影響しているように感じたが、もちろん関係はないみたいだ。
今思うことだが、この時はやはり、わからないことだらけで、この先どうなっていくのかも見えない中で、全てが不安だったのだと思う。
気になること、全てを悲観的に捉えてしまっていた気がする…

その気持ちを大きく逆転してくれたのが、食事♪♪

この日の昼食から、少しずつ、食事をとることになっていた。

誰が見ても、美味しそうには見えない物体…

しかし、この感覚は当時の僕の予想を裏切っていて、非常に勇気が持てたのだが、
食欲はなくなっていない♪♪

術前の予習から、想像していたのが、術後、食欲はなくなること。その感覚は一切ない!
目の前のドロドロで決してこれまでの概念では「食事」とは呼べない物体が、
美味しそうに見えた!!!!

胃がなくなって、初めての食事。もちろん恐る恐るだが、それ以上に早く口にしたい気持ちが勝り、早速、全粥をスプーンで口に。

うまい!!

食事は全体の2割程度で抑えてください。

とのことで、抑えたが、いいと言われれば、全部食べていただろう。

心配していた、食後の逆流や、ダンピングも起きることはなく、いい未来への一歩を踏み出せた気がした?
食後にあった、術後初の排便も、安心の材料になった。

前もって、先生には聞いていたのだが、飴やガムなどを摂ることは
悪くないみたいなので、早速、嫁に買ってきてもらい、基本的にずっとガムを噛んでいたw

嫁に家から持ってきてもらうように頼んでいた加湿器も稼働させた。病院はとにかく乾燥する。個室ではなく、4人の相部屋なのでもちろん、看護師に確認して了承を得ての使用だが、インフルエンザも流行の中、乾燥した部屋に、ましてや病人だらけの中に、閉じ込められるのは勘弁だった。加湿器の持ち込みは是非おすすめします!本来、病院の設備に加えてほしいけどねー

暇な時間をどう過ごそうかと、入院前に色々考えて、TSUTAYAにも行ったり、本を買ったりしたが、この日はまだ、本を読める感じもしない…

借りたDVDを観ようかと思ったが、前から観たい作品だったので、もう少し楽しみは置いておこうと、iPad Proを開き、噂で面白いと聞いていた、海外ドラマの
The Walking Dead (ウォーキングテッド)を何気なく観てみることにした。

ホラーはどちらかというと観ないタチだが、どんなものかと観始めたら、どハマったw

病室で観るゾンビ映像は割とスリルありますw
結果、この入院生活、ウォーキングテッドには助けられることになりましたw

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◆癌サバイバー/新人ブロガー◆ 32歳でスキルス胃癌ステージ4・余命半年を宣告され絶望。 そこから奇跡の復活を成し遂げている最中です。3児のパパ。 闘病記だけでなく、お金のことや、仕事のことなど色々書いていきます! もっと詳しい自己紹介は名前をクリックしてね⇪